ジャガールクルト(Jaeger LeCoultre)

<< ジャガー・ルクルト | ジャガールクルト(Jaeger LeCoultre) | ジャガー・ルクルトの職人たちの哲学 >>

鋳鉄製の重々しい門から一人ずつなかに入っていきます。工場の多数の小窓に次々と灯がともっています。ジャガー・ルクルトの朝です。

凍てつく風がル・サンティエの街路を吹き抜け、歩道の両側には雪が山積みになっていきます。寒々とした静けさのなかで陽が昇り、町の人々が家から出てきます。ラ・ゴリス通りでは、暖かい衣服で身を包んだ人々が薄明かりに浮かぶ大きな建物に向かっています。

道路の向かい側から、ウエ−ブがかった髪で、ほっそりした顔立ちの男が、いつもこの風景を眺めています。毎朝、毎晩、彼は自分の事業を見守っています。正面入口に向き合って立っている銅像になったこの人物こそ、最も優れたスイス時計製造企業のひとつの創設者であり、ジャガー・ルクルトの守護神であるアントワーヌ・ルクルトです。この天啓を受けた人物はジュウ渓谷における近代時計製造業の父です。ジュラ山脈の中心で標高1,000mの地点にあるジュウ渓苔が「高級時計産業の谷」として全世界に知れ渡ったのは、彼の豊かで疲れを知らない精神のおかげです。

アントワーヌ・ルクルトは16世紀にジュウ渓谷に逃れてきたフランス人、ユグノー達の子孫です。彼は父親の鍛冶屋で技術を教え込まれましたが、この根っからの発明家は常に革命的なアイディアを探し求めていました。最も注目すべき彼の歴史的発明品のひとつはカナ製造の機械です。この巧みな発明により、彼はジャガー・ルクルトの前身であるアトリエを1833年に設立することができました。そのとき、アントワーヌ・ルクルトは30歳でした。彼はカナを「あらゆる優れた時計の魂」と見なしていました。

彼の製品が高品質であることは直ちに認められ、スイス時計製造業全体に多大な影響を及ぽしました。この成功に支えられて、まもなく彼は「部品だけでなく時計の完成品を造る」という彼の最も大きな夢の実現に取りかかりました。

ル・サンティェ、それは スイスのジュラ山脈にある人目につかない特別な町です。 時間の秘密を隠している不思議な場所です。 その魅力、天分、歴史を垣間見てください…。


カテゴリー:ジャガールクルトについて
アーカイブ:ジャガー・ルクルトの朝

お問い合せ